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《連載:変わる水戸中心街 昭和から令和へ》(上) 商都から転換 相次ぐマンション建設 銀行跡改修、文化施設に

マンション建設計画の一方で撤去が進む南町三丁目商店街振興組合のアーケード。竹脇元治理事長が状況を説明する=昨年12月22日、水戸市南町
マンション建設計画の一方で撤去が進む南町三丁目商店街振興組合のアーケード。竹脇元治理事長が状況を説明する=昨年12月22日、水戸市南町


昨年12月下旬、茨城県水戸市南町3丁目。市街地に残る最後のアーケードの撤去作業が進み、赤茶けた骨組みがあらわになった。すぐそばではマンション建設の下準備が進行し、作業員たちがビルを解体していた。商都と呼ばれた水戸の街中が新陳代謝を始めている。

■盛衰

80年前、水戸の街は空襲で焼け野原となった。人々は戦後すぐにバラックを並べ、商売と生活を再建した。1955年ごろには「復興の象徴」としてアーケードを整備。国道50号沿いに水戸駅北口から大工町まで続き、その屋根の下で商都・水戸は最盛期を迎えた。

昭和の水戸は京成百貨店の前身・志満津百貨店や伊勢甚百貨店が競い合った。70年代以降は東京資本の大型店が次々開店。若者のファッション文化の中心だったサントピアなどが街を彩り、アーケード下にも多くの商店が軒を連ねた。

南町三丁目商店街振興組合理事長の竹脇元治さん(78)は「週末は肩がぶつかって歩けないほどだった」と懐かしむ。

平成に入ると、郊外型の大型店が急増。街のにぎわいは徐々に陰り、百貨店や大型スーパー、商店が次々と姿を消した。90年ごろには、国道50号沿いの電線を地中に埋める工事に合わせ街中のアーケードは撤去。南町3丁目の組合では唯一再建されたが、組合員減少で維持管理が困難になり、改修から撤去にかじを切った。

■再生

令和の時代、水戸のまちは新たな段階を迎えた。マンションの建設ラッシュに沸き、新陳代謝が活性化。商住一体の街へと変わりつつある。

京成百貨店の隣では、2027年完成予定のマンションの建設が進む。長らく廃墟だった南町3丁目のビル周辺でもマンション開発が計画され、同組合は予定地にあるコミュニティ会館とアーケードを取り壊す。 竹脇さんは「ハードの資産を持つ時代ではない。解体費の一部を負担してもらえ、渡りに船」と語る。

市は南町・泉町の両マンション建設を優良建築物等整備事業に認め、再開発を後押し。完成すれば最終的に国と市で5~7億円を補助する。市によると、同百貨店のはす向かいでもマンション建設を目指す準備組合が組織された。

八百屋や酒屋といった小規模な食料品店が消えた街中で、増えた住民の需要に応えるように、スーパーの出店も相次ぐ。旧知事邸跡や新設された商住一体型のマンションにはスーパーができ、買い物の環境も整いつつある。

市商店会連合会の大橋章前会長(91)は「ここまで来たらマンションをどんどん建ててほしい。商店街はまずは人ありき。住む人が増えれば、何か変わるかも」と期待を寄せる。

■新拠点

歴史ある建物を生かす動きもある。1909年、泉町に川崎銀行水戸支店として建てられた西洋風の銀行棟は昨年11月、ホールとカフェ、美術館からなる文化施設「テツ・アートプラザ」に生まれ変わった。

石造りの白い外壁はほぼそのまま。子育て世代や企業で働く人らがランチを楽しみ、ホールには子どもの遊び声が響く。夕方は学生たちがノートを開くなど、新たな街の拠点として定着しつつある。

水戸の街が大きく変わる中、竹脇さんは言い切った。「過去にしがみついていたら、新しい街に変われない。街も人も時代ごとにさまざまでいい」

昭和、平成、令和へと時代が移り、水戸の街中が変わりつつある。変遷する街並みと新しいスタイルで活躍する人々の姿を探った。



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