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《東日本大震災15年》茨城県警機動隊・祝迫さん 災害救助の技能継承、県内外で活動 「経験還元したい」

災害を想定した救出救助訓練の指揮を執る県警技能指導官で機動隊の祝迫辰哉小隊長(左から3人目)=水戸市吉沢町
災害を想定した救出救助訓練の指揮を執る県警技能指導官で機動隊の祝迫辰哉小隊長(左から3人目)=水戸市吉沢町


災害時の対応力を高めようと、茨城県警で初めて災害救助の「技能指導官」に指定された機動隊小隊長の祝迫(いわいざこ)辰哉さん(37)が奮闘している。15年前の東日本大震災時は、津波被害の大きかった同県北茨城市で捜索活動し、これを原点に県内外の被災地で尽力してきた。「経験を還元したい」と初動対応に当たる地域警察官らにノウハウや心構えを継承し、大規模災害から県民の命を守るための備えを進めている。

技能指導官は、卓越した事件事故の捜査技術や警察技能を生かして後進を育てるのが目的の制度で、県警では現在61人が指定を受けている。災害救助部門は2024年に設置された。

祝迫さんが指定されたのは同年夏。機動隊に通算13年所属し、広域緊急援助隊などとして北海道胆振東部地震(18年)や静岡県熱海市の土石流災害(21年)、能登半島地震(24年)などに派遣されてきた実績から異例の若さで起用された。

11年の東日本大震災を機に警察の災害対応は見直しが進み、茨城県警でもこの間、以前はなかった重機やドローンなどの装備資機材が充実。祝迫さんは「求められる役割、活動の幅は広がっている」と話す。

■人の心も

祝迫さんにとっても、災害対応の原点は東日本大震災にある。

当時は機動隊配属2年目。「指示に対応するので精いっぱいだった」といい、津波の被害が大きかった北茨城市で捜索活動に当たり、骨組みだけになった建物が並ぶ港町で「自然の驚異を痛感した」。以来、ほぼ一貫して災害救助の道のりを歩んできた。

能登半島地震では発生2日後に甚大な被害のあった石川県珠洲市に入り、最初に直面したのは高齢女性が倒壊家屋の下敷きになった現場だった。すでに声かけに反応はなかったが、そばで見守る家族のため救出を決め、限られた工具で約4時間かけて梁(はり)を取り除き、家族に引き渡した。

命は救えなかったが、家族からは感謝の思いを伝えられた。祝迫さんは「周囲の人の心を救うことも救助の目的の一つ」と語る。同時に、迅速な現場進出の大切さもあらためて胸に刻んだ。

■初動が鍵

茨城県内でも河川の氾濫による浸水被害が相次ぐ中、現在は、交番や駐在所員を含めた警察署員の対処能力向上に力を注ぐ。被害が広範囲にわたる場合、応援の到着までには時間がかかり、身近な警察署の初動が鍵を握るためだ。

15年の常総水害では水没地域で多くの住民が孤立状態となった教訓から、県警はその後、全27署に手こぎ式のゴムボートを配備。各署を回って操船方法を伝えるほか、涸沼での合同訓練では実際にボートを浮かべ、棒で地面をつつき危険を回避しながら先導する方法など実践的な訓練を心がけている。

殉職者を出すことなく人命救助の使命を果たすため、基本的な技術の定着に重きを置く祝迫さん。「経験を還元しながら、一歩ずつ現場の執行力を向上させていきたい」と意気込む。



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