八雲の書簡 苦悩を告白 茨城・阿見の渡辺さん保管 大学解雇の理由 切々と
茨城県阿見町在住の日本近代文学研究者で大学講師の渡辺保幸さん(73)が、明治時代の文豪で日本文化を海外に広めた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904年)の書簡を大切に保管している。亡くなる1年前に母国の英国の関係者に宛てたもので、英文学講師をしていた東京帝国大学を解雇された時の苦悩を告白している。渡辺さんは「八雲にとって日本は第二の祖国だが、晩年は孤独だったことがうかがえる。貴重な資料で、機会があれば一般公開したい」と話している。
渡辺さんは元国語教師。仕事の傍ら、夏目漱石や島崎藤村といった日本近代文学を研究。資料を収集して論文を執筆してきた。
八雲の書簡は30年ほど前、英国のオークションで入手した。日付は1903年4月28日。送り先はロンドン日本協会の創立者、アーサー・ディオシー(1856~1923年)。東京帝国大学を解雇された1カ月後で、4枚の手紙の表と裏に、解雇の理由や背景が英文で切々と書かれている。
翻訳は渡辺さんと友人の米国人で手がけた。
解雇された理由について、八雲は「日本国籍の者が外国人相当の給料を得る資格などない、とのことだった」と伝え、「給料9カ月分の退職金すら支給されなかった」と不満を漏らしている。
渡辺さんによると、当時のお雇い外国人の給料は月給で450円ぐらいだった。八雲は1896年に日本国籍を取得したが、月給で400円程度をもらっており、周囲から「高給取り」と批判を受けていた。
「当時月給400円は日本人講師の約5倍。支出を抑制しようという政府の方針もあり、大学から解雇された」と渡辺さんは言う。
書簡では、英国の役人やキリスト教団体など関係者から疎まれていたことも明かしている。「講壇から降ろすためにさまざまな謀略も仕組まれた」「日本人以外の友人に会うことも、新しく友人をつくることもできなかった」。
渡辺さんは「八雲はキリスト教が嫌いで無神論者。キリスト教の布教活動に協力しなかったことで、あつれきが生じた可能性がある」と推察する。
八雲は翌1904年2月に早稲田大学講師として招かれるが、同年9月26日に心臓発作を起こして他界する。渡辺さんは「書簡からは八雲が苦境に追い込まれていたことがよく分かる。ひどい仕打ちを受けた状況を伝えたかったのだろう」と分析している。










