【エンタメ総合】
“アクセルホッパー”永井佑一郎、田原俊彦ら所属の事務所J-BRAVEへ マイナス0.2発屋が踏み出す一歩

永井佑一郎 (C)ORICON NewS inc.


 アクセルホッパーなどのリズムネタで一世を風靡(ふうび)し、『エンタの神様』(日本テレビ系)や『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)などに出演していた、お笑い芸人の永井佑一郎(43)が、9月から田原俊彦などをマネジメントする芸能事務所・J-BRAVE(ジェイブレイブ)に所属していることが19日、わかった。ORICON NEWSでは、永井に単独インタビューを行い、今回の決断にいたるまでの思い、今後の活動に迫った。



【写真】ナーイツ! 永井佑一郎が事務所所属で新たな一歩



■フリーとしての活動予定も新たな選択肢 ネタ作りと並行して新人発掘にも意欲



 永井は5月31日に、自身のツイッターを更新し、同日をもって吉本興業の退所を報告。「吉本興業様! 先輩方! 同期! 後輩! スタッフさん! ファン皆さん! 有難う御座いました」と伝えながら、アクセルホッパーのネタも披露し「おバカな同期とおバカな後輩、かっけー先輩ありがとう!」「皆さまへ お世話になった 皆々さま 今まで本当にありがとう」「みなさんサンキューありがとう! またまたまたまたまた会おう!」と元気よく伝えた。



 この時、永井はジェイブレイブへの所属は決まっておらず、あくまでフリーとして活動していく予定だった。「自分の中で新たな自分への可能性にかけてみようという気持ち、自分が作ったものをフリーになって自由な表現をしてみたいという思いから、長年お世話になった吉本さんを退所すると決めました」。そんな中、ふと新しい選択肢が現れた。「(田原のマネジメントを担当する)雨宮さんとは、もともとお付き合いがありまして、気にかけてくださっていました。そんな雨宮さんが、音をあつかう芸人に特化したセクションを事務所内に立ち上げるということで、僕にその第1号となってほしいと言ってくれまして。田原さん、業務提携には織田哲郎さんと相川七瀬さんがいらっしゃる事務所に入るなんて、予想もしなかったことですが『ぜひ、お願いします』と、お答えしました」。



 芸人セクション第1号となる永井は、プレイヤーとしてはもちろん、得意のリズムを使った新しい仕事も努めていく。「一番はネタをやりたいです。アクセルホッパーの見た目もあって、チャラい人だと思われがちなのですが、実はお酒も飲めなくて、一番楽しい瞬間は喫茶店でモノを作っている時だっていう人間なんです(笑)。だから、ネタをしっかりやっていくということに加えて、リズムプランナーというお仕事で依頼されたリズムを作ったり、バンパーというSNSの間に入る6秒広告のリズムを作ったりと、いろんな表現方法をやっていきたいと考えています」。



■ブレイクまでの苦悩の日々 アクセルホッパーで注目浴びるも不安「新ネタが作れない」



 埼玉県春日部市出身の永井は、1998年に単身でNSC(吉本総合芸能学院)の東京3期生として飛び込み、芸人生活をスタートさせた。「同期だと、吉本に残っているのはトータルテンボス、はいじぃ、キクチウソツカナイ。ほかの事務所まで広げてみると、髭男爵の山田ルイ53世、AMEMIYA、サイクロンZの期になります。僕は、いろんなお笑いに触れていなかったので、ネタオタクのサイクロンZにビデオをいっぱい借りて、研究していました。その中で、特に衝撃を受けたのがバナナマンさんとカリカさんでした。2組みたいになりたいと思って、頑張っても、うまくいかず、道端で『なんで売れないんだよ!』と叫ぶ日々でした」。そんな中、バイト先でアンケートを取って、自分の強みを見つけた。



 「その結果で上位にきたのは、顔・動き・フレーズだったんです。その時に『やっぱりな』と感じました(笑)。ちょっとセンスある、東京っぽいスタイリッシュなやつを目指していたけど、学生時代の僕は動きで笑いを取っていたので、求められていたのはやっぱりここなのねと。自分の客観視ができてからは、トントン拍子でアクセルホッパーの原型ができましたね」



 2006年に『エンタの神様』でアクセルホッパーを披露したところ、一気に注目を集めた。「ありがたいことに、当時は『朝・北海道、夕方・沖縄、夜には東京、深夜にネタのけいこ』みたいな生活を送っていました。一方で、僕からしたら新しいネタを生み出せていないプレッシャーとストレスが押し寄せていました」。見事にネタで一発当てた永井だが、本人は極めて冷静だ。「僕は一発も当ててないです。強いて言うなら0.5発くらいで、まだ自分の力すべてを使えていないという思いがあるから、今も挑戦できているんだと思います。アクセルホッパーから15年くらい経っているので、今はもうマイナス0.2(笑)。ここから一発当てて、0.8を目指したいと思います。0.2分のブレーキホッパーがないと、僕は燃え尽きてしまいそうなので」。



■リズム芸は“麻薬” 父としての思いも「いい家に住ませてあげたい」



 そんな永井に“リズムネタ”というジャンルへの認識を聞くと、明確な答えが返ってきた。「コント・漫才・ピンネタだと大きく分けたら、リズム芸はまだその魅力がそこまで伝わってないのかなと。リズムネタは、極論すれば誰でもできますし、短命だと言われますよね。そのイメージから抜け出すのが大変なので、芸人にとって麻薬みたいな感じで捉えられているのかなと。世の中にバッと出ていく可能性は秘めているけど、消えやすさもあるので、ほかの見せ方を考えないといけない。代名詞となるリズムネタを作っていて、いざという時に、これだけじゃないぜというものがあれば、自分の心も安定しますし、続けていけるのかなと考えています」。その上で、アクセルホッパー時代の苦い“しくじり”を披露した。



 「当時、東京の劇場出番では新ネタをやっていたんです。ある時、ルミネtheよしもとの出番で、僕の名前が出たら、アクセルホッパーを楽しみにしているであろうお客さんから『キャー』という歓声をもらって。それなのに、僕はシュールなピンネタをやってしまって、お客さんから大ブーイングを受けたんです(苦笑)。当時の自分は『これが本当の自分じゃない』という思いが強すぎて…。今改めて考えると、もしかしたらアクセルホッパーが見たくて、例えば北海道から飛行機で来てくれた人がいたかもしれないし、なんて独りよがりなことをしていたんだろうと思いますね。これから売れる芸人さんがもし、これを見てくれていたら、自己主張をしたい時期だと思いますが、求められるうちはやっぱり求められるものをやったほうがいいとお伝えしたいです(笑)」。



 いろんな経験を経て、43歳になって踏み出す新たな大冒険。アクセルホッパー時代のせりふを踏まえて、今回の情報も「サタデーナイト」の18日に発表することも考えなかったのかと、老婆心ながら向けてみた。「実は19日が、息子である音吉の4歳の誕生日なので、そのタイミングでマイナス0.2発屋の伝説が始まると(笑)。今までの僕はお金に執着がないというか、面白いことができたり、自分を知ってもらえたらいいという考えだったのですが、家庭を持ってから、考えがだんだんと変わってきて…。永井佑一郎というブランド力を上げて、いろんなことをやれる人になって、そこにお金というものがあって、音吉とかをもうちょっといい家に住ませてあげたいなと思っています。こうすると、なんか美談のようになっちゃいますね(笑)」。10月31日には、単独ライブ『歓喜』を開催する永井のアクセルは、新たな門出に向けて全開だ。

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