戦争の記憶後世に つくばの谷田部海軍航空隊跡地、関係者ら記念碑除幕
旧日本海軍の飛行搭乗員を養成する練習航空隊が置かれ、特攻要員の訓練も行われた「谷田部海軍航空隊」の歴史を後世に伝えようと、航空隊跡地にあるつくば市上横場の筑波学園病院内に記念碑が建立され、19日に除幕式が開かれた。同隊出身者や関係者ら約100人が出席し、平和への思いを新たにした。
谷田部海軍航空隊は1939年、現在の阿見町にあった霞ケ浦海軍航空隊谷田部分遣隊が独立して発足した。
当初は九三式中間練習機(通称赤とんぼ)で初歩訓練が行われていたが、44年末からは実用機(零戦)の操縦訓練が始まり、45年3月には戦局の悪化に伴い作戦部隊となった。
同年には神風特攻隊「昭和隊」も編成され、沖縄方面の作戦で多くが命を落とした。終戦間際には本土決戦に備え、首都防衛の重要拠点とされた。
終戦後、跡地は同病院の前身・谷田部協同病院が当時の兵舎を病棟として利用していたが、99年に解体。周辺に当時の面影はほぼ残っていない。
このため、筑波学園病院を運営する財団法人筑波麓仁会(藤澤順一理事長)が、戦争の記憶や平和の尊さを次世代に伝えようと記念碑を建立した。
高さ約2メートルの記念碑は、「昭和隊」出撃時に隊員を見送ったとされる桜の木の下に設置。碑の上部には零戦のモニュメントが配置された。
除幕式には、同航空隊で編成された特攻隊「神誅隊」の隊長を務めた元海軍中尉の香川宏三さん(87)=千葉県市川市=ら同航空隊OBも出席。
香川さんは「特攻隊の私もいずれ死ぬつもりでいたが、終戦で生き延びた。仲間の戦死のおかげで平和な日常がある。これをみんなで守っていかなければならない」と語った。
藤澤理事長も「航空隊があり、多くの若者が国に命をささげたことを広く伝えていきたい」と話した。