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日系人収容所経験・セツコさん、水戸の高校で講演

日系人強制収容所での体験を語るセツコさん=水戸市白梅
日系人強制収容所での体験を語るセツコさん=水戸市白梅


第2次大戦の終戦から69年を迎えるのを前に、米国の日系人強制収容所を体験した日系米国人のアリス・セツコ・ヒライさん(74)の講演会が30日、水戸市白梅の私立水城高(山野隆夫校長)で開かれた。セツコさんは強制収容所での日系人に対する人権侵害について「アメリカの歴史で最もひどい人種差別」と指摘し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定が迫る中で、「同じ悲劇が繰り返されないよう、私の話について、ぜひ皆さんで話し合ってほしい」と訴えた。

セツコさんは1939年11月に米国サンフランシスコ州で生まれた日系2世。3歳のころ第2次大戦が始まり、その後、家族と共に同州の旧厩舎(きゅうしゃ)に収容された。さらにユタ州のトパーズ収容所に移送された経緯を説明しながら、「収容所から逃げ出さないよう24時間監視されていた」と話した。

収容所に向かう列車の中での様子については「汚いジャップ(日本人に対する蔑称)野郎と言われ、唾を吐き掛けられた」とし、「彼らは生まれたばかりの弟にも同じことをした」と、苦汁の日々を振り返った。

米国内には計10カ所の収容所が設けられ、約12万人の日系人が収容されたという。セツコさんは、間仕切りのない掘っ立て小屋での生活を強いられ、「プライバシーは何一つなかった」と述べた。

また、同じ収容所にいた日系の高齢者が、逃げた飼い犬を収容所のフェンスまで追い掛けたところ、米兵に銃殺されたといい、「(米兵は)止まれと叫んだが、英語が分からなかったのか、殺されてしまった」と、収容所内での悲劇の一つとして紹介した。

セツコさんは終戦後、サンフランシスコ州などで看護師として働く傍ら、長年、米国内で収容所での体験を語り続けてきた。同校での講演会は水戸市在住のセツコさんの関係者が企画し、生徒約350人が参加した。この後、県内を含めて広島や京都でも同様の講演会を開く予定。

質疑応答で、男子生徒の一人は、「日本人はどのような態度で外国人と関わっていくべきか」と質問した。セツコさんは「まずは自分たちの考えや経験を、海外の人たちに知ってもらうことが大事」と述べた。

3年の笹島大地さん(17)は「教科書にはない(戦争体験者の)生の声を聞けた」と感慨深げに話し、「将来の目標である教員になれたら、今日の話を自分の生徒に伝えたい」と話した。(小野寺晋平)



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