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水戸金工顕彰碑 震災で傾き、県に復旧要請

二名匠之碑を視察した茨城工芸会の会員たち=水戸市の偕楽園
二名匠之碑を視察した茨城工芸会の会員たち=水戸市の偕楽園


県内の工芸家らでつくる茨城工芸会(井上壽博会長)は8日、幕末から明治にかけ、水戸彫金(水戸彫り)の礎を築いた金工2人の顕彰碑「二名匠之碑」の視察会を、水戸市の偕楽園で行った。碑は東日本大震災の影響で傾いており、同会は同日までに、碑の復旧を県に要請。今後、復旧と水戸金工の再顕彰もしたい考え。同会は、2人の弟子の金工たちが中心で創立したといい、始祖ともいえる2人について井上会長(74)は「地元の水戸から少しずつ、彼らの業績を紹介していきたい」と話している。

金工は萩谷(はぎたに)勝平(かつひら)(1804〜86年)と初代海野(うんの)美盛(びせい)(〜1862年)の2人。

水戸彫金は水戸藩9代藩主、徳川斉昭の時代、藩御用として手厚い支援を受けた。甲冑(かっちゅう)や刀剣の装具などを手掛ける金工作家を多く輩出し、長州藩(現山口県)などと並び全国に名を知られた。

明治の廃刀令後、水戸金工たちは「水戸もの」と呼ばれた置物などの精緻な工芸品を制作。明治政府に珍重されるなど明治末期から大正にかけ隆盛したが、現在は後継者不足に陥っているという。

顕彰の石碑(縦3・2メートル、横1・2メートル、幅14センチ)は、1910年、偕楽園の好文亭から北東の梅林に建てられた。上部には海野のおい、勝?(しょうみん)による竜や唐獅子の浮き彫りがある。現在は倒壊防止策が施されている。

同日は同会会員ら15人が、碑の現状を確認。水戸金工たちの作品を同市泉町のアートセンタータキタで見学し、顕彰の意義を再認識した。 (安ケ平絵梨)



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