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水戸で福島の研究団体  会津藩主の碑拓見学

「慷慨淋漓の碑拓」を見学する会津史談会の一行=水戸市元山町の神応寺
「慷慨淋漓の碑拓」を見学する会津史談会の一行=水戸市元山町の神応寺


福島県の郷土史研究団体・会津史談会(坂内実会長)一行22人が20、21の両日、会津藩と関わりが深かった水戸市を訪れ、幕末維新の戊辰(ぼしん)戦争で共に戦った水戸藩諸生派ゆかりの史跡を巡り、子孫でつくる水戸殉難者恩光碑保存会(川上有文会長)と交流した。

史談会は1931(昭和6)年発足で80年以上の歴史のある団体。文化史講座の一環で、会津ゆかりの土地探訪として、水戸市内では常磐神社義烈館や神応寺、祇園寺などを回った。

元山町の神応寺(奥田俊亮住職)では、今年2月に市指定文化財になった同寺所有の「慷慨(こうがい)淋漓(りんり)の碑拓」を見学した。この碑は、幕末の水戸藩の内乱で天狗党に敗れた諸生派の人たちの死を悼み、十七回忌法要として1884(明治17)年に建立。拓本は設置直前に取られたとみられ、精巧に写し取られている。

「慷慨淋漓」の文字は会津藩第9代藩主・松平容保(かたもり)の書。碑文は会津藩の漢文学者で東京大教授を務めた南摩(なんま)綱紀が作成し、水戸藩の画家、松平雪江(俊雄)が清書した。諸生派が徳川家の恩に報いるために命をささげて戦った気持ちを表現している。奥田住職は「碑石は70年前の水戸空襲で失われてしまった。防空壕(ごう)にしまっておいた拓本が残り、文化財となってありがたい」などと経緯を説明した。

同市八幡町の祇園寺では、諸生派を追悼する「恩光碑」の前で手を合わせた。

史談会の坂内会長は「戊申戦争で会津藩と共に戦った水戸藩諸生派は、不幸にも敗者となったが、松平容保公が彼らの義に感じ入って作成した碑文拓本を見て感動した」などと話していた。

一行の探訪には、水戸殉難者恩光碑保存会会員が講師役で付き添った。同会は2010年と昨年に会津訪問しており、川上会長は「会津の人たちと共に戦い、同じ運命をたどった諸生派。今後も交流を深めたい」と話した。(武藤秀明)



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