2015年10月20日(火)

達人の心得・県勢アスリートは語る JR東日本 女子柔道部 福見友子コーチ

光が差すと信じていた 負けの経験伝えたい

10月からJR東日本女子柔道部のコーチに就いた福見友子氏=台東区上野のJR東日本柔道場
10月からJR東日本女子柔道部のコーチに就いた福見友子氏=台東区上野のJR東日本柔道場

ロンドン五輪柔道女子48キロ級代表で2013年に現役引退した福見友子氏(30)が、1年間の英国留学を経て、10月からJR東日本の女子柔道部のコーチに就任した。指導者として新たな一歩を踏み出した現在のことや、自らが「山あり谷あり」と評した現役時代の思い出について聞いた。 (運動部・杉野碧)


-英国ではどんなことを学んだか。

筑波大職員として、指導者の交換プログラムの一環で、ラフバラ大の柔道部を1年間指導した。日本と比べるとまだまだ柔道が盛んではない中で、自分の柔道や教わったものを伝えた。子どもたちや英国の指導者の方に技の講習や私の柔道の経験をお伝えする機会も何度かあったので、そういった場で勉強させてもらった。

-海外の柔道に触れて見えた日本の良さは。

環境面で恵まれている。練習相手がたくさんいて、道場もある。海外では柔道着も借り物で、白と青のカラー道着の上下違うものを着ているのも当たり前。でもみんな柔道が好きで頑張っているのが印象的だった。

-指導者を目指そうと思ったきっかけは。

これまで自分が柔道を通してたくさんの経験をさせてもらったので、そういった経験を伝えていきたいと思った。

-どのような経験を伝えていきたいか。

どちらかというと負けの経験。トップになれるのは本当に一握りの人だけ。(自分は)負けた経験をたくさんしているので、そこでいかに踏ん張るかだったり、諦めずにやり続けるかだったりというところを教えていきたい。

-07年には谷(旧姓田村)亮子選手を破りながら、代表に選ばれないなど不遇もあった。

私だけしかできない経験だった。そういった意味では貴重な経験をして、今があると考えている。(今後)そういう機会がもしかしたら他の選手にあるかもしれないので、少しでも力になれることがあれば、そういった経験が生きてくるのかなと思う。

-一番つらかったことは。

チャンスを与えてもらえなかったり、挑戦できる場がなかったりしたこと。どうしても目標を見失ってしまった時があった。

-どのように乗り越えたか。

高校時代、土田美知恵コーチ(現監督)から、「雨の日は雨の中を」という言葉をいただいた。つらい時でも、一歩一歩前に進んでいくことで、いつか光が差す、いつか花開く時が来ると信じていた。

-高校時代の思い出は。

正直、きつい練習が思い出深い。あれだけやったから今があるし、集中して練習できたってことは感謝しかない。その時代はきつくて、早く過ぎないかなって思っていたが。

-練習で大事にしていたことは。

毎日、誰よりも多く練習する、誰よりも多く努力するということ。終わりはないが、自分に厳しく接し、「自分に負けない」と思っていた。

-県内で柔道をしている子どもたちにメッセージを。

ずっと茨城で育ってきて感じるのは、茨城は連盟も力を入れているし、柔道が盛り上がっている。そういった環境であるということを今は気付けないかもしれないけど、外に出て分かることもたくさんある。自分の道場や地元を大事にしてほしい。そこを土台として、世界へ羽ばたく選手になってもらいたい。(随時掲載)

■福見友子(ふくみ・ともこ)
1985年6月26日生まれ。土浦市出身。土浦六中-土浦日大高-筑波大-筑波大院出。世界選手権優勝1回、準優勝2回。ロンドン五輪5位。2013年に現役引退。得意技は背負い投げ、小内刈り、寝技。



全日本女子選抜体重別選手権1回戦で田村亮子(上・当時)に優勢勝ちした福見友子(当時土浦日大高2年)=横浜文化体育館、2002年4月
全日本女子選抜体重別選手権1回戦で田村亮子(上・当時)に優勢勝ちした福見友子(当時土浦日大高2年)=横浜文化体育館、2002年4月

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