ご神体、水戸に里帰り 台湾で交戦、杉浦兵曹長
台湾で「神」として祭られている水戸市出身の軍人がいる。太平洋戦争末期、旧日本軍のパイロットとして同国で戦った杉浦茂峰兵曹長だ。米軍との空中戦で被弾した際、集落への墜落を命を賭して回避したことから、地元では「飛虎将軍」とたたえられ、霊廟(れいびょう)が設けられている。22日には、訪問団とともに、ご神体が水戸市に“里帰り”し、今後の水戸と台湾との友好の懸け橋として期待されている。
霊廟を管理する台南市海尾朝皇宮管理委員会によると、杉浦兵曹長は1944年、日本の統治下にあった台湾で、海軍航空隊に所属。同年10月12日の朝、台南市を空襲した米軍にゼロ戦で迎撃した。数に勝る米軍機に同隊は相次いで撃墜され、杉浦兵曹長の機体も被弾した。
杉浦兵曹長が乗るゼロ戦が急降下した先には、同市の集落「海尾寮」があった。そこで、脱出が遅れることをいとわず、杉浦兵曹長は機首を上げて機体を集落東側に墜落させる。直前に落下傘で脱出したものの、米軍機の機銃掃射を受けて戦死したと伝えられている。
終戦後、この様子を目にしていた住民らは、自らの命を犠牲にして集落を守った杉浦兵曹長を「恩人」としてたたえ、ほこらを建設。93年には大理石や朱色の屋根瓦など、台湾風のきらびやかな霊廟に建て替えた。
同国での「飛虎」は戦闘機を意味する。霊廟は「飛虎将軍廟」として、多くの参拝者が訪れ杉浦兵曹長が好きだったというたばこをささげるほか、毎朝「君が代」の放送も行っている。
2年前に水戸市の高橋靖市長がこの霊廟を訪問したことをきっかけに、22日には同委員会のメンバー26人がご神体とともに水戸市を訪問。生家跡地や卒業した三の丸小(旧三の丸尋常高等小)などを訪れたほか、ご神体をみこしに乗せ、中心市街地を巡った。
同委員会の呉進池(ウジンチ)会長は「(里帰りができて)飛虎将軍も喜んでいるはず。今後、幅広い分野で水戸市との交流を深めていければ」と期待を込めた。 (前島智仁)