【茨城県桜川市の明日~市長選を前に~】 (下) ヤマザクラ
■里山保全の組織拡充へ 市民統合の象徴に
「拾ったヤマザクラの種が、茨城県桜川市のシンボルとして育ってほしい。現在、市内にあるという55万本のヤマザクラを、60万、70万本と増やしていけたら」
桜川市立桃山学園(同市伊佐々)の7年生、柴山桂輔さん(13)はそう語った。同校の校庭の一角に1本のヤマザクラが育っている。
▽種から育てる
市立真壁小の3年生が2017年、筑波山系の一角にある五所駒瀧神社(同市真壁町山尾)境内で種を採取しプランターに植えて育てた。翌18年に真壁小、紫尾小、桃山中が統合され小中一貫の桃山学園が開校。プランターは同学園に移動され、苗木の一部が校内に地植えされた。残りは市役所が引き取り、植樹に活用された。
ヤマザクラの種を採取し苗木に育てる授業は、市内の全小学校で行われている。同学園は3-9年生が地域の自然や歴史、環境保全の重要性などを学ぶ材料としてヤマザクラを体系的に取り入れている。小菅裕子教頭(49)は「郷土愛を育むために始まった。地域や生命の大切さを考えるために、とても良い教材になっている」と強調した。
ヤマザクラは今、岩瀬、大和、真壁の3町村合併で誕生した同市の新しいアイデンティティーを形成し始めている。春の山を彩るヤマザクラの魅力に注目し始めたのは、同市平沢地区の住民たちだ。07年春、同市と栃木県茂木町の県境にある高峯山に、地区の共有地を生かした手作り展望台が初めて設けられた。同所はその後、市内有数の観光スポットに育っている。
▽大きな可能性
同市の桜は歴史の上でも長い伝統を持つ。平安時代の代表的な歌人、紀貫之が残した後撰和歌集の和歌「常よりも/春辺になれば桜川/波の花こそ/間なく寄すらめ」は、同市の桜川を想像して書かれたものとされている。さらに室町時代の能楽師、世阿弥元清は同市磯部地区を舞台にした謡曲「桜川」を作った。ついには「西の吉野、東の桜川」と呼ばれるほどの名勝となり、江戸の墨田川堤や上野山などの桜の苗木の供給元になってきた。
市は17年4月、ヤマザクラを生かしたまちづくりを推進すべく「ヤマザクラ課」を新設。19年度から10年間、「ヤマザクラ保全計画」に基づき、行政区や市民団体などの協力を得て、下刈りや植樹などの里山保全を続けている。
同市の3-4割は山地が占める。近年、イノシシの急増が見られ、農作物の被害が問題化している。市はイノシシ増加の背景として、11年3月の福島第1原発事故を境に人が山林へ足を踏み入れなくなり、籔(やぶ)が深くなったことを要因の一つに挙げている。
ヤマザクラは、山に再び市民の関心を向けてもらう材料として、大きな可能性を秘めている。同課は「(保全計画は)新しい市のアイデンティティーを築くための事業。里山保全の組織拡充が今後の鍵になるが、住民意識の醸成とも深く関わってくる」と話した。