【東日本台風5年】 (下) 《東日本台風5年》(下)「共助」で防災充実 消防団 独自の地図作成
「まさか、ここまでの水害が起きるとは思わなかった」。那珂川や支流の藤井川、田野川に囲まれた茨城県水戸市飯富地区。藤井川の堤防沿いに詰め所を構える水戸市消防団第14分団団長の大津博章さん(61)は、今も2019年の東日本台風の被害が脳裏に焼き付いている。
市が作成したハザードマップで、同地区の多くは赤く染まった「洪水浸水想定区域」。分団詰め所の壁に貼られたマップを眺める大津さんは、もどかしそうな表情だ。
「これでは実際の危険箇所が分からない」。分団は被災後、団員の綿引淳一さん(50)らが中心となり、茨城大のボランティア団体「Fleur(フルール)」と協力して地区内を詳しく調べ上げ、今年4月に独自の防災地図を完成させた。
地図には東日本台風で実際に越水が起きた場所や決壊後に水がどのように流れたのか提示。低地や急傾斜の道を「避難しづらい所」として明記し、予測を基に倒木や崖崩れの恐れがある場所や孤立しやすい場所も表示した。
分団は現在、各世帯を訪ね歩き、住民に地図を示しながら災害時の避難について周知を図る。
大津さんらは「災害時はマップを活用しながら、映像や画像も駆使して避難を呼びかけたい」と声をそろえ、備えに余念がない。
▼高い住民意識
東日本台風に伴う同市の避難者は延べ7277人、全壊は50戸に上った。同地区では取り残された約170人が自衛隊などに救助された。
教訓をどう生かすか-。同地区は22年から地区独自の避難訓練を始め、翌23年には災害発生を前提にした防災行動計画(タイムライン)も策定。7月の避難訓練には住民200人以上が参加した。
51町内会が所属する飯富自治実践会長の加倉井喜正さん(74)は「被災した住民の意識は今も高い」と強調する。
企業の備えも続く。台風で天井付近まで水没した「ホームセンター山新渡里店」では被災当時、商品約6万点が水没。営業再開まで約5カ月を要した。
同店では被災後、出入り口に止水板を設置したり、以前は地上にあった変電設備も高さ1メートルの位置に置き換えたりした。
小泉直人店長は「うちは、もともと災害時に役立たなければならない店。万が一に備えていきたい」と力を込める。
▼30戸が転居
人口減少に加え、核家族化が当たり前となった時代。被災後は約30戸が同地区を去った。加倉井さんは「親世代は残っても、子ども世代は離れることが珍しくない。そういう時代なんだろう」と語る。
地域防災の担い手が減る中、何よりも大切にしているのは近隣住民が一致団結して対応に当たる「共助」の力だ。
「町内会の集まりなどで一人一人と顔を合わせる機会をつくることが、いざという時に役立つはずだ」。加倉井さんはそう信じている。