東日本大震災13年 「人の役に」奮闘続く 北茨城・原彩夏さん 小5で被災、消防の道へ #知り続ける
東日本大震災の発生から11日で13年が過ぎた。小学5年で被災した茨城県北茨城市大津町の原彩夏さん(24)は現在、市消防職員として消防や救急の現場で活躍し、昨年9月の台風13号に伴う大雨でも最前線で被災者を救助。被災を経て強まった「人の役に立ちたい」という思いを胸に、故郷のため奮闘が続く。
■授業中に
高台にある市立大津小に通っていた原さんは13年前、3階の教室で大きな揺れに襲われた。必死に1階昇降口まで駆け降りたが「地震で真っすぐ走れなかった」。何とか外に避難すると、体育館のガラスが割れ、校庭では地割れも起きた。
迎えに来てくれた父親の車内で目の当たりにしたのは、屋根瓦が落ちた住宅や崩れた塀の数々。「普通の地震じゃない」。慣れ親しんだまちは異様な姿に変わっていた。
家族5人で暮らす自宅は津波被害こそ免れたが、半壊を余儀なくされた。壁はひび割れ、家具や棚の中の物が床に散乱して靴を履かなければ上がれなかった。近隣住民の自宅をみんなで片付けて寝床を確保し、数世帯が支え合って半月ほど共同生活を送った。
停電と断水が続いたが、「みんな助け合っていたからか、共同生活は楽しかった。『人の役に立ちたい、助けたい』という気持ちはこの時から強くなった」。
■最前線で
福島県いわき市の高校を卒業後の2018年、北茨城市消防本部に入り、現在は市消防署に勤務。同消防本部では唯一の女性職員だ。中型免許を取得し、3年目からは消防車と救急車の運転を担う「機関員」を務める。
火災発生時は防火服を身にまとい、消防車にほかの署員を乗せて現場まで急行。消火栓や防火水槽から水を吸い上げて車両に送る作業も原さんの担当だ。救急車の出動時には、隊員と協力して傷病者を車内に乗せることもある。「一人では助けられない。みんながいるから安心して仕事ができる」と語り、助け合う大切さを実感している。
昨年9月の台風13号に伴う大雨では、初めて災害の前線で活動した。夜通しの対応に追われ、浸水家屋から助け出した救助者を避難所まで送るなどした。
状況が急速に変化する大雨の脅威にも直面。「小さな水たまりが10分ほどで大きくなる。行く時に通れた道が帰りは通れなくなっていた」と振り返る。
■忘れない
今年の元日には能登半島地震が発生し、災害の備えの意識が再び高まりつつある。原さんは「どこで、何が起きるか分からない。いつ起きてもいいように心構えが必要。人ごとではない」と身を引き締める。
震災から13年。子どもの頃から思い続けたという「人を支える職業に就けたかな」。その表情に柔らかな笑みが浮かぶ。
小学生の頃に書いた震災体験の作文は、こう締めくくられている。
「みんなで協力すれば何でもできるということを、忘れず生きていきたい」
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