《連載:茨城・常総水害9年》(下) 被災経験を次代へ 災害派遣、備えに反映
今年元日に起きた能登半島地震。全国から被災地支援に駆け付けた行政職員の中に、茨城県常総市の栗原秀太さん(38)もいた。
2月末から3月初旬、最大震度7を記録した石川県志賀町に入った。まちのあちこちで建物は崩れ、屋根瓦が散乱。「大変なことが起きている」。背筋に緊張が走るのを感じながら、支援活動に当たった。
同町の人的被害は、災害関連死を含め死者7人、重軽傷者104人。住民59人は今も避難生活を送っている(いずれも8月21日現在)。
栗原さんに任されたのは給水業務の支援。給水車に乗り、町内各所の給水タンクに水を補給したり、タンクの見回りに当たったりした。
2015年の常総水害では自身も断水を経験した。トイレ1回分の水に苦労した思いは今も忘れられない。栗原さんは「水の大切さは痛いほど分かるつもり。被災者が困らないように、それだけを心がけた」と活動に当たったという。
各地で大規模災害が頻発する中、常総市の水害対応の経験は他の被災地でも生かされた。
市は、久慈川と那珂川が氾濫した19年の台風19号や同県取手市双葉地区が被災した23年の大雨で、現地に職員を派遣。能登半島地震では、1~3月に職員15人が現地の支援に入った。
常総水害発生前、市には大規模災害での廃棄物処理についてノウハウがなかった。庁舎内も混乱が続き、市防災危機管理課長の吉原光一さんは「大きな負担になった」と振り返る。
しかし、その経験は能登半島地震の被災地で生きた。現地の担当者を悩ませたごみ処理問題で、派遣された市職員は「仮置き場にはどの程度の広さが必要か」「混雑しない搬出入ルートをどう設定するか」。水害時に身をもって学んだ初期対応の手法が役立てられた。
各地の被災現場で支援に当たった職員は、市の災害対策の充実にも一役買っている。
能登半島地震の被災地支援に派遣された職員からの報告で、市は備えをさらに充実させる必要性を痛感。「地震が起きれば、信号機が消えたり、道路が通れなくなったりして、交通インフラが崩壊しかねない」(吉原さん)として、ブルーシートや飲料水、非常食などを多めに常備するよう広報紙で周知した。
水害から10日で9年。当時を知らず、災害対応経験が乏しい職員も増えたが、市は被災地支援の報告を庁舎内で共有し、職員自らが学ぶ機会を提供する。いつどこで起きるか分からない大規模災害。行政が支援の経験をまちの防災対策にどう反映させるかで、被害軽減や早期復興へ向けた道筋は大きく変わる。
「まちが常総水害や他の被災地で学んだことは、次世代でも必要」。吉原さんはそう語り、ノウハウ継承の重要性を訴える。