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《連載:茨城・JCO臨界25年》(上) 安全対策 規定順守、薄れる意識 トラブル多発、虚偽も

臨界事故の現場となったJCOの旧転換試験棟。内部は解体が進み沈殿槽なども撤去された=26日、東海村石神外宿
臨界事故の現場となったJCOの旧転換試験棟。内部は解体が進み沈殿槽なども撤去された=26日、東海村石神外宿


「25年前の事故で多くの人に迷惑をかけた。二度と地域を不安にさせない」

1999年、核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)は茨城県東海村の事業所で被ばく死亡事故を起こした。同事業所では現在、放射性管理区域の解除に向けた設備の解体が進む。

解体に伴い、ウランを含む放射性廃棄物はこれまでに容量200リットルのドラム缶1万2千本分が発生した。完了目標の2025年度までに、さらに4千本分が増える見込みだ。

従業員は放射性物質の漏れがないよう、日常的に目視で保管状況を確認し、ドラム缶の腐食など異常があれば詰め替える。点検は最終処分が終わるまで続く。

同社は事故翌年の00年、「絶対安全、絶対無事故」「基本を大切に、基本を守る」を行動指針に定めた。年4回の安全教育を従業員35人全員に課すほか、担当者による廃棄物の詰め込み作業の監視、取締役による巡視など、社内の法令順守を徹底してきた。

「臨界事故は起きないとの誤った認識があった」。当時を振り返った同事業所の石川義治所長(63)は「事故を起こさないため、基本を守り、それを継続していく」と強調する。

1999年9月30日、同事業所の転換試験棟(現第3管理棟)で、作業員が手順を無視し、沈殿槽に大量のウラン溶液を投入した。核分裂反応が連続する臨界状態が発生し、約20時間継続。従業員3人のうち2人が死亡、消防隊員や周辺住民ら660人以上が被ばくした。

事故を教訓に、国は2000年7月、改正原子炉等規制法を施行。新たに核燃料加工施設での定期検査を追加したほか、保安規定が守られているか確認する原子力保安検査官を配置した。原子力事業所では安全文化の醸成が求められた。

だが、茨城県内の事業所は20年度以降、原子力規制委員会から毎年1件以上の保安規定違反や不正行為などが指摘されている。6月には核燃料研究会社「日本核燃料開発」(同県大洗町)で機器点検の虚偽記録の作成が判明。21年に同様の不正が発覚したにもかかわらず、改善せずに続けていた。

「担当者の交代などにより、事業者に保安規定を守る意識が薄れているのではないか」。原子力規制庁の担当者は話す。

県も00年から、原子力安全協定を結ぶ県内事業所への立ち入り調査を開始。毎年1回、施設の点検や放射性廃棄物の保管、事故の再発防止策などの状況を確認している。

調査の結果、事業所に改善を求める「指摘事項」としたのは、23年度までで1件にとどまる。一方、国への報告を必要としないトラブルは多く、日本原子力発電東海第2原発(東海村)の火災8件など、22年7月~24年7月に発生した事故は22件に上る。

臨界事故は国内初、未曽有の事態であり、そのことは県民の記憶に深く刻まれている。

安全を守るため、県防災・危機管理部の山崎剛部長は「他の事業所で起きた事故も自分ごとと捉え、ゼロにしていく地道な取り組みを継続するしかない」と気を引き締める。

JCO臨界事故から30日で25年を迎える。臨界事故の教訓を見つめ直す。



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