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【茨城・JCO臨界25年】 (下) 《連載:茨城・JCO臨界25年》(下) 継承 「教訓」風化させない 次世代に防災意識説く

臨界が起きた沈殿槽の実寸模型=東海村村松の原子力科学館
臨界が起きた沈殿槽の実寸模型=東海村村松の原子力科学館


臨界事故を起こした茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)から南東に約4.5キロ。放射線や原子力について解説する原子力科学館(同村)別館に、臨界事故を伝える展示がある。

臨界が起きた沈殿槽(外径約50センチ、高さ約60センチ)の実寸模型をはじめ、村が2006年に制作した。周りの階段や配管なども復元。当時の村長、村上達也さん(81)や住民、原子力研究者ら事故を経験した6人の証言を収録した映像モニターなどもある。

同館を運営する茨城原子力協議会の住谷秀一事務局長は「事故の実像や当時の状況を知ることができる重要な資料」と強調する。

一般の来場者や原子力を学ぶ学生に加え、原子力事業所が新入社員に行う安全教育の「教材」としても活用される。住谷事務局長は「展示を通して事故の教訓を学び、安全の大切さを常に意識してほしい」。


東海村役場は原子力事故時の住民避難を担う。事故を経験した職員は減り続け、いかに後世に引き継いでいくかが課題だ。村総務人事課によると、4月1日現在、村の正職員428人のうち、7割を超す328人が事故後の00年度以降の入庁という。

村は毎年、事故が起きた9月30日、風化を防ぎ、教訓を語り継ぐため、村長が職員に訓話する。22年以降は、これまでの部課長級に加え、事故後に入庁した職員も参加している。

入庁1、2年目の若手職員を対象として、原子力に特化した研修も行う。臨界事故の経験に必ず触れ、原子力防災対応が村の重要な責務であることを説明してきた。

山田修村長は「村民を守るのが使命。原子力事故が起きたとき、自分がすべきことをすぐ行動に移せるよう、日頃から意識しないといけない」と訴える。


講演会などで臨界事故を伝える同県日立市のノンフィクションライター、大泉実成さん(62)は「講演依頼は減っている。事故が忘れられてしまう」と風化への危機感を募らせる。

大泉さんの父、昭一さんと母、恵子さんは、沈殿槽のあった転換試験棟から約120メートルの場所で自動車部品工場を営み、被ばくした。

事故後、昭一さんは持病の皮膚病が悪化。恵子さんもうつや心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみ、01年に工場を閉めた。両親は02年、JCOなどに損害賠償を求めて提訴。大泉さんも訴訟を支えたが、10年に最高裁で敗訴が確定した。

両親は全国各地で臨界事故の恐ろしさを伝えてきたが、昭一さんは11年、恵子さんも18年に他界。大泉さんは2人の思いを受け継ぎ、雑誌への寄稿や講演会を通して訴え続ける。

「事故が両親の人生を変えた」。25年が経過した現在でも、臨界事故と健康被害との因果関係が認められなかったことや、国の原子力政策に対する怒りや不満は消えない。「深刻な被害を出した臨界事故を風化させてはいけない」。大泉さんは地道に活動を続ける。



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