《連載:いばらき戦後80年 遺構を訪ねて》プロローグ(下) 予科練平和記念館 阿見



■心情知る手紙や日記
茨城県阿見町廻戸の予科練平和記念館は、遺族らから寄贈を受けた手紙や日記など遺物約2万点を保管する。約400点を常設で展示し、一部の手紙は書き起こして本にまとめられ、手に取って読むことができる。
佐賀県出身の予科練生、福山資(たすく)さんの手紙もそのうちの一つ。福山さんは1939年に16歳で予科練に合格し、42年に18歳で戦死した。
41年12月に母よし子さんへ宛てた手紙は、1カ月後に卒業を控え、戦地へ赴く前の不安な気持ちが書かれている。
「本当に本当に、何となく泣き度(た)い様な気になって来ました。御免なさい。こんな事書いて…」
通常の手紙は軍による検閲を受けるが、福山さんの手紙は検閲を免れて届いた。予科練平和記念館の学芸員、山下裕美子さんは「家族に対する偽らざる気持ちがつづられている」と指摘する。
▼浮かぶ人物像
予科練は「海軍飛行予科練習生」の通称。10代の少年対象の航空機搭乗員養成制度で、旧日本海軍が設立した。30年に神奈川県横須賀市で始まり、39年に阿見に移転。40年に土浦海軍航空隊として独立した。終戦間際の45年には、全軍特攻化に伴い特攻隊員を送り出した。
福山さんの手紙は、39年から42年にかけて送られた。同館で、全てを書き起こし、1冊全121ページの本3巻分にまとめた。手紙からは不安な思いだけでなく、近隣の百貨店で妹のために万年筆を買ったり、筑波山に登ったりする日常の様子も浮かび上がる。
福山さんの手紙は、開館準備段階では数枚のコピーが寄贈されているのみだったが、遺族に連絡し、全ての手紙の現物を借りて書き起こし、常設展に組み込んだ。山下さんは「(福山さんは)甘い物が好きで妹思いで。通常の資料だけでは分からない、1人の予科練生の人物像が浮かび上がった」と話す。
▼われわれと同じ
日記や手紙などの個人の主観で書かれた史料は「エゴ・ドキュメント」と呼ばれる。戦時中の生活や心情を知るよりどころの一つとして重要さが再認識されている。山崎貴之館長は「当時体験した人の気持ちを正確に伝えて、展示を見る人に考えてもらうことが重要」と話す。
同館に寄贈された手紙や日記、写真などの遺物は、劣化を防ぐため、中性紙の箱と封筒で包まれ、保管されている。所蔵品は年2回の企画展で、テーマに沿って選び展示される。
山下さんは「手紙や日記を見ると、現代のわれわれと共通するものを感じられる。戦争の時代を生きていた人が感じていたことを知る一助にしてほしい」と話した。
【メモ】開館は午前9時~午後5時(最終入場同4時半)。GW期間中も開館。6月15日まで特別展「ペンを剣にかえて-海軍予備学生の軌跡」を開催中。特別展期間中の入館料は大人700円、子ども400円。(電)029(891)3344