《連載:いばらき戦後80年 遺構を訪ねて》プロローグ(上) 筑波海軍航空隊記念館 笠間



■戦時中の面影、色濃く
戦争を体験した世代が減り、当時を知るよりどころは人から物へ移りつつある。茨城県内各地に残る戦争遺構を随時紹介する。
戦時中に特攻隊の訓練などが行われた歴史を伝える茨城県笠間市旭町の筑波海軍航空隊記念館。県立こころの医療センターの敷地に立つ。県の施設で、市が借り受け、プロジェクト茨城が指定管理者となっている。
国内最大規模の現存する戦争遺構で、戦時の記憶を継承する上で重要な存在だ。号令台や水素瓦斯格納庫跡、滑走路跡、地下戦闘指揮所などが残り、当時の面影を色濃く残す。
▼廃止危機脱す
ほぼ当時のままの姿で残る旧司令部庁舎は戦後、学校や病院として使われてきた。記念館の金沢大介館長(54)は「老朽化のため取り壊す方針があった。病院管理棟の役割を終え、2011年秋から廃墟となった」と説明する。
その庁舎に記念館を設けた。きっかけは映画「永遠の0」。航空隊の人たちを描く物語が本物の庁舎で12年に撮影された。映画のタイアップ企画として記念館が半年間限定で一般公開された。脚光を浴び、庁舎の取り壊しが延期された。存続に向けた署名が集まった。利用計画を練り上げ、運営を続けて窮地を乗り越えると、18年には市文化財に指定され、危機を脱した。
金沢館長は「高齢者の中にはここから特攻が始まったと思っている人もいる。最初の志願者がここから出たと主張する人もいた。戦跡を残し、戦友たちのことを忘れないでもらいたいという思いが強かった」と話す。
▼「地下室」発見
数々の伝承が残る。見学に来たお年寄りは号令台から地下戦闘指揮所まで地下でつながっていると話し、回顧録に「地下室跡」という表現もあった。当時の隊員が作った敷地の地図には、地下室の存在を示す印が20ほどあった。
情報を基に22年には庁舎北側で地下無線室を発見できた。金属探知機で探ると反応があり、探査棒が同じ高さで突き当たった。5メートルほど掘り下げると地下室の屋根が出現。鉄筋コンクリートの分厚い壁で仕切られた空間から無線機や文房具が見つかった。「あるかないか分からないものがの見つかったので、テンションは上がった」と金沢館長は振り返る。
総延長3キロを超える地下通路も見つかった。航空隊は規模が大きく、本土決戦に備え整備が進められたことがうかがい知れる。金沢館長は「ここには数々の遺構がある。当時のままの形で使われている航空隊の本部庁舎は全国でもここだけ。風景が想像できる形で残っていることもなかなかない」と存在の重要性を指摘する。
【メモ】開館は午前9時~午後5時(最終入場同4時)。火曜、年末年始休館。入館料は大人500円、小学生~高校生300円。地下無線室などが見学できる史跡ガイドツアーを行っている。(電)0296(73)5777