《連載:いばらき戦後80年 遺構を訪ねて》【県西編】 古河の集会所に石碑



■パイロット養成所の証し 特攻隊志願の若者も
茨城県古河市小堤にある小さな集会所。裏手に地元住民が建てた石碑がある。かつて旧逓信省や旧陸軍のパイロット養成機関「古河地方航空機乗員養成所」があったことを示す、数少ない証拠の一つだ。
国道125号に架かる歩道橋下の道を北に少し入ると「中新田会議所」の看板がかかった小さな建物がある。手前には鳥居と古い石塔がいくつか立っている。集会所の中には石碑にゆかりのある霊廟(れいびょう)が祭られている。裏手にひっそりと立つ石碑には「逓信省航空局地方乗員養成所」の文字が刻まれ、工事を請け負った東京の建設会社の役員が神社の本殿や鳥居などを寄贈したことに、「崇敬者一同氏ノ美挙ニ感激シ」「永久ニ其徳ヲ伝」えるために建てたとある。
市教育委員会発行の『古河史略』によると、養成所は1942(昭和17)年4月、逓信省のパイロット訓練施設として発足した。44年4月からは宇都宮陸軍飛行学校の古河分所が併設され、陸軍の施設としても使われるようになる。訓練生の中には特攻隊を志願した若者もいた。
同書によれば、養成所は滑走路などを備えた約99ヘクタールの広大な施設で、建設に伴い移転を余儀なくされた人たちがいた。同市小堤の諏訪浩一さん(84)の家は、建物を解体せずに移動する「曳家(ひきや)」という方法で数百メートル離れた現在の場所に引っ越したという。
浩一さんの姉、菊池(旧姓諏訪)美津子さん(85)は当時の光景を覚えている。「家の下に『コロ』を敷き、建物に結んだ綱を進行方向に立てた柱にぐるぐると巻き付けながら引っ張っていた」。諏訪家のアルバムには、養成所の起工式に立ち会った祖父の姿や練習機が飛ぶ様子の写真が残っている。
養成所は終戦とともに閉鎖され、跡地は開拓農地に、その後工業団地へと生まれ変わった。古河歴史博物館の学芸員、立石尚之さんは「養成所に関する遺構がほとんどない中で、石碑の存在は重要。当時の人たちが次の世代に伝えようとする意志が込められている」と話している。
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