【命のゆりかご~涸沼ラムサール登録10年~】 (上) 《連載:命のゆりかご~茨城・涸沼ラムサール登録10年~》(上) 保全・再生

茨城県の涸沼がラムサール条約に登録されて10年。環境はいかに守られ、どう生かされているか。現状を追った。
■自然の恵み、どう守る 「元の姿に」思い強く
「今年は最悪。近年まれに見る不漁だ」。漁から戻った50代のシジミ漁師から嘆きが漏れた。
涸沼が育むヤマトシジミ。漁獲量は1970年代をピークに減少し、最大約6000トンから2000年代には約2000トンまで減った。
さらに東日本大震災が追い打ちをかけた。16年には約500トンまで落ち込んだ。津波の影響で地盤沈下や水底の砂利が流され、シジミの生息場所が失われたという。「漁場が大きく変わった。震災の爪痕は深い」。大涸沼漁協の坂本勉組合長(73)は声を落とす。
ヤマトシジミが生息するには、海水と真水の微妙な塩分濃度が求められる。濃度は降水量や水温などで変化するといい、近年の異常気象も少なからず漁場に影響をもたらしている。
同漁協は01年から、稚貝の育成・放流を続ける。地道な努力の成果が実り、ここ数年の漁獲量は1000~1500トンまで持ち直した。しかし、今年の不漁のような不測の事態も想定され、常に不安定さが付きまとう。
「ヤマトシジミは涸沼の宝。絶対に失っちゃいけない」。60年以上、涸沼と生きてきた80代の元シジミ漁師は湖面を見つめた。
▼研究
遊び場から研究素材に-。小さい頃から涸沼に親しんできた茨城大水圏環境フィールドステーションの金子誠也助教(37)。学生になって以降、魚類生態系の研究に明け暮れる。
「涸沼一帯には数え切れないほどの生命が息づいている」。流入河川、砂場、ヨシ原…。生き物の大切なすみか。本湖と周辺環境は切っても切れない関係で、「全ての場の保全」の必要性を説く。
同大と涸沼の関係性も深い。1950年代に湖畔に実験所をつくり、半世紀以上、涸沼とともに歩んできた。「当時の成果が基礎情報となり、今の研究が成り立っている」と金子助教。現在は同県潮来市に拠点を移し、研究調査を続ける。
過去のデータがあってこそ、目指すべき具体的な姿が見えてくる。「科学的根拠に基づく知見や情報を提供していくことが研究者としての役目」。同大が残した財産を受け継ぎ、次代へとつないでいく。
▼使命
「涸沼を元の姿に戻すのが使命」。NPO法人ひぬま生態系再生プロジェクトの中村史朗理事長(74)は力を込める。同法人は前身の団体含め30年以上、涸沼の変化を見守ってきた。特に目を向けるのは水質浄化だ。「沈水植物は水をきれいにする」。数十年前に見た景色を再生するため、湖畔に手作りの実験場を設け、日々研究に励む。
だが、壁が立ちはだかる。植物は鉢植えでは育つが、なぜか涸沼に戻すと枯れてしまう。「一度崩れてしまった環境を取り戻すのは一筋縄ではいかない」。原因究明に努めるが、明確な答えはまだ見つかっていない。「昔は夜もホタルの光があれば、懐中電灯がいらないほどだった」。ホタルの里の復活にも取り組むが、「再生の難しさ」を実感する日々という。
同法人は高齢化も進む。「この先どうなっていくのか」と中村理事長。環境保全とともに事業承継という重い課題も背負っている。