【ありがとう橋幸夫さん いばらきとの縁】 (中) 《連載:ありがとう橋幸夫さん いばらきとの縁》(中) 水戸・盆踊り大会 元気詰めた祭り企画 無償で書き下ろし楽曲も

2004年8月14日夜、ちょうちんに照らされた茨城県水戸市の千波湖畔の盆踊り会場。歌に合わせて老若男女が次々と加わり、祭りばやしと太鼓の音がもり立てた。その輪の中心のやぐらから、歌手の橋幸夫さん=今月82歳で死去=の伸びやかで艶のある歌声が響き渡ったという。
祭りをきっかけに人の輪を広げたい-。そんな橋さんの思いが詰まった盆踊り大会「燃えろ!元気水戸まつり」の初回だった。回を重ねるごとに盛況となり、最大で約3万人が来場。08年の第5回を最後に、いったん幕を閉じた。
開催のきっかけは、橋さんと茨城トヨペット(水戸市)会長の幡谷定俊さん(78)との出会い。「本当にうれしくて、その日のことは鮮明に覚えている」。デビュー当時からファンだった幡谷さんは、初回の2カ月ほど前、知人の紹介で橋さんと初めて会った。
「小さな頃、あちこちで行われていた盆踊りがなくなって寂しいね」。祭りを愛する2人は、すぐに意気投合。水戸黄門まつりに飛び入り参加する話は、スケジュール調整が間に合わず断念したが、「ならば大会を自分たちで開いて、水戸を元気にしよう」と盆踊り開催に動き出した。
東京の下町出身の橋さんは、盆踊りに並々ならぬ思いを持っていた。「夜店が並び、うちわを手に浴衣姿で楽しめる、昔ながらの情緒豊かな祭りにしたい」と意気込んでいたという。
実行委員会名誉会長就任と盆踊りソングの作曲、当日の出演を全て無償で引き受けた橋さん。実行委の会合には毎回出席し、会場設営の業者の手配まで取り仕切った。幡谷さんは「実は結構、費用がかかった」と苦笑する。
祭りのために書き下ろしたのが「燃えろ水戸の夏まつり」と「お元気人生」の2曲。今夏、17年ぶりに復活した盆踊り大会では、橋さんの代わりに幡谷さんが歌い、盛り上げた。
橋さんとともにつくり上げた盆踊り大会。「子どもたちにとって、おじいちゃんやおばあちゃん、両親と過ごした大切な思い出になるよう、これからも続けたい」と幡谷さんは前を向く。
足跡は水戸黄門まつりにも残る。祭りのテーマ曲「黄門ばやし」は、デビュー5年目の橋さんが歌った。それ以来、祭りに欠かせない一曲として市民に親しまれてきた。橋さんはこれからも、水戸の夏を明るく照らし続ける。