《連載:盟主復活の幕開け J1鹿島9季ぶりV》(上) 勝負強さ際立つ 悔しさ乗り越え底上げ
〝盟主〟復活ののろしを上げる21回目の戴冠が、ついにクラブ史に刻まれた。サッカーJ1鹿島アントラーズは2016年以来のリーグ制覇を達成し、9季ぶりに国内主要タイトルを奪還した。今季から就任した名将・鬼木達監督(51)の下、チームは「常勝軍団」らしい勝負強さを見せた。ホームタウンやサポーターなど鹿島を支えてきた人たちが待ちわびた栄冠までの軌跡を振り返る。
国内主要タイトルを獲得したのは、リーグと天皇杯の2冠を達成した2016年シーズンまでさかのぼる。翌17年シーズンは、リーグ残り2試合のうち1勝すれば優勝が決まる状況だったが、あと一つ勝ち星を挙げることができなかった。当時を知るDF植田直通(31)は「もうあんな思いはしたくない」と振り返り、唇をかむ。逆転優勝を許したのはくしくも、鬼木監督が率いた川崎フロンターレだった。
以降は悔しさが残るシーズンの連続だった。18年こそクラブ史上初となるアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を制したものの、国内では無冠が続いた。主な要因は不安定なチームづくりにあったとみられる。20年からの5年間で5度、監督が交代。うち3度がシーズン途中だった。フットボールダイレクター(FD)として強化を担う中田浩二さん(46)は今季開幕前、「監督が代わり過ぎることは良くない」と懸念を示す一方、「新しい鹿島をつくっていく」と中長期的なチームづくりを明言していた。
新たな鹿島をつくるべく、白羽の矢を立てたのが鬼木監督だった。17年に川崎を初のJ1制覇に導いてから24年までの8年間で計7個の国内タイトルを獲得。指揮官として十分な実績に加え、クラブOBで鹿島の哲学を理解していた。中田FDは「一番しっくりきた」と理由を明かす。
鬼木監督がまず取り組んだのは、「鹿島らしさ」の再定義だった。心技体全てに「強くあること」を選手に求め、クラブの伝統といわれる勝負強さの復活を目指した。川崎時代の細かくパスをつないでボールを保持するスタイルを落とし込み、技術・精神ともに底上げを図った。
その結果、今季は開幕戦こそ湘南に敗れたものの、以降は鹿島らしい勝負強さが際立ち、順調に勝ち星を重ねていった。エースのFW鈴木優磨(29)は「今季は勝ち切ることの大切さを感じた。(チーム内に)勝負にこだわる共通認識があった」と語る。多少のリスクを負ってでも泥くさく勝ち点3を目指す姿勢が、大事な場面での強さにつながった。
8年間、国内無冠の日々を乗り越え、ついに21個目のタイトルをつかんだ。鬼木監督が言う「鹿島が次のステップに踏み込むため」、非常に意味のある栄冠だ。ただ、〝盟主〟復活と言うにはまだ早い。真に常勝軍団と呼べるかは、来季以降の戦いに懸かっている。












