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【素晴らしさと課題・土浦花火を振り返る 小泉裕司】 (上) 「大曲」との友情物語

第92回土浦全国花火競技大会で打ち上げられたスターマイン=土浦市の桜川畔
第92回土浦全国花火競技大会で打ち上げられたスターマイン=土浦市の桜川畔


日本三大花火大会に数えられる土浦全国花火競技大会と大曲の全国花火競技大会(秋田県大仙市)の間には、先人の卓越した英智によって築かれてきた友情の物語がある。

両大会で授与される内閣総理大臣賞は、そもそもは1961(昭和36)年にさかのぼる。この年から土浦に「通商産業大臣賞」が授与されることになったが、これは国内の花火技術の発展に寄与してきた元土浦火工社長・故北島義一氏の努力によるものだ。後に北島氏の後押しがあって、1964(昭和39)年から大曲にも同賞が授与されるようになった。

時は流れ2000(平成12)年、大曲に「内閣総理大臣賞」が授与される際には、通産大臣賞の恩返しとばかりに、大曲から国への働き掛けによって土浦にも授与されることになったという。

日本花火鑑賞士会(間瀬基夫会長)では、こうした経緯を多くの人に知らせるべく、2000年当時担当した湯原洋一氏(元土浦市教育部長)のインタビュー動画を今年制作し、10月から11月にかけて土浦や大曲のセミナーで公開するとともに、未来に継承すべく花火伝統文化継承資料館「はなび・アム」(大仙市)に寄贈した。同館では「大曲と土浦の友情物語」と題して、こうしたあまり知られていない両大会の交流の歴史を、来年1月まで開催中の企画展で紹介している。


■「したたかさ」に脱帽

今年10月7日(土)、大曲の秋の夜空に「土浦の花火」を打ち上げるという、花火史上に残る企画が実現した。そもそも新型コロナウイルスの影響で第90回土浦全国花火競技大会が中止となったことを受け、昨年2月11日、大曲の4社と土浦の6社が合同で「二大花火競技大会「土浦」「大曲」夢の競演!!」と題して、霞ヶ浦湖畔で打ち上げたのがきっかけになった。

当日、野村花火工業(茨城県水戸市)は、昨年の土浦でスターマインの部優勝の「水無月(みなづき)のころ」をリメークし5号玉を加えた「大曲バージョン」を持ち込んだ。実はこれには裏話がある。土浦の実行委員会との事前の打ち合わせの際、土浦の規定に沿った最大4号玉以下ではなく、5号玉を使い、しかも打ち上げ幅もワイドにしたいと申し入れたという。

この話を聞いて、単なる思い付きかと思ったが、打ち上げが始まってその理由を理解した。前半打ち上げた筑北火工堀米煙火店(茨城県桜川市)のスターマインは、全体的に小ぢんまり感が否めなかったが、それもそのはず。開花時の最大高度約200メートルの4号玉と、約250メートルの5号玉とでは上空での広がりが違うし、そもそも土浦とは比較にならないほどの広大な夜空が大曲には広がっている。

これらのことを熟知した野村花火工業の「したたかさ」に脱帽。案の定、ピアノ曲「View of Silence」に合わせて「野村ブルー」やグリーンをふんだんに盛り込み、目の肥えた人たちを魅了するのに十分な作品に仕上げて、拍手喝采を浴びた。


■奇跡の風が吹いた

今年11月4日午前6時、号砲5発、5段雷15発が鳴り響いた。風向き、風力とも良好、雲の心配なし。絶好の条件に恵まれた第92回土浦全国花火競技大会は、昨年の人出から15万人増えて60万人(実行委員会発表)。拙宅前を会場へと急ぐ人波や桜川河川敷の場所取りも、コロナ禍前の光景に戻ったようだ。

民間の気象情報会社は花火会場の天気を「南風で比較的暖かく、のち北東の風になる見込み。風速は毎秒1〜2メートル程度と弱く、花火が開いた後の煙はゆっくりと流れる」と予報した。南風、つまり打ち上げ現場から観客席方向に吹く風から、観客席側から吹く例年通りの北東の風に変わる瞬間は、競技開始直前に訪れた。
この奇跡の瞬間に気付いた来場者は多くないだろう。微風であるがゆえに、滞留した煙で花火がかすむ恐れもあったが、わずかな「煙待ち」で競技は進んだ。前半約三分の一で、10号玉が上空で開花せず落下(いわゆる黒玉)、地上で開くアクシデント(詳細は後記)が発生し約10分中断したが、その後再開しほぼ予定通りに幕を閉じた。

次回は、10号玉、創造花火、スターマインの競技部門ごとに、自分なりに講評する。
(こいずみ・ひろし 花火鑑賞士、元土浦市副市長)



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