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【茨城・常総水害10年 教訓を未来へ】 (1) 《連載:茨城・常総水害10年 教訓を未来へ》(1) 避難の自分ごと化向上 「計画通り」に尽きぬ懸念

常総市地域交流センター「豊田城」の前で、10年前の水位などを説明する吉川清信さん=同市新石下
常総市地域交流センター「豊田城」の前で、10年前の水位などを説明する吉川清信さん=同市新石下


2015年9月9日に上陸した台風18号や前線の影響で、広範囲に被害が出た関東・東北豪雨。翌10日に茨城県常総市三坂町の鬼怒川堤防が決壊し、市全体の約3分の1に当たる約40平方キロが浸水した。市内の死者は災害関連死を含め15人。住宅約4900軒が全半壊した。あれから10年。常総水害の教訓を生かし、記憶の継承が求められている。

同市の会社員、吉川清信さん(72)は15年9月10日早朝、自宅から約1キロ離れた同市新石下の市地域交流センター「豊田城」に妻と避難した。午前10時半ごろ、センター2階の窓から外を見ると、道路に水があふれ始め、水位はあっという間に大人の腰の高さくらいに達した。「驚いた。避難していてよかった」。だが、センター駐車場の車は水没。断水や停電でトイレが使えず、明かりもない中で一夜を過ごした。

「避難所では何もできなかった。そもそも知識もなかった」。反省から、一念発起して18年に防災士の資格を取得。勤務地が市外だったこともあり、それまであまり関われなかった地域についてもっと知りたいとの思いも後押しした。

現在は水害時の個々の避難行動計画「マイ・タイムライン」講習会で作成を指南するリーダー役などを務める。「防災に関して当事者意識を持つことが大事だ。自分は大丈夫という考えは捨ててほしい」。一人一人の防災意識のさらなる向上が課題と捉える。

常総水害では、逃げ遅れが相次いだ。自宅などに取り残された4000人以上がヘリやボートで救助された。教訓を踏まえ、国交省下館河川事務所や鬼怒川流域の自治体は16年、「マイ・タイムライン」を考案。気象情報や河川水位などに応じ、いつどのように避難するか事前に時系列で整理しておく行動計画づくりは、全国各地で水害が多発する中、普及が進む。

ただ、近年は経験したことがないような豪雨が頻発し、避難のタイミングなど計画通りに行動できるか懸念は尽きない。集中豪雨により小さな水路があふれるケースも出ている。

同事務所は、計画は一度作ったら終わりではなく、定期的な見直しや更新することを促す。あくまで行動の目安と認識してもらい、気象や水位、避難に関する情報を小まめに収集、確認するなどして臨機応変の対応を呼びかけている。

市内では、自主防災組織の結成も進んでいる。現在155の組織があり、結成率は7割。10年前から3割増えた。ただ活発な組織がある一方、活動できていない組織があるのも事実だ。

豊田地区では、各自治区に自主防災組織があったものの、休眠状態だった。そこで22年に14自治区約600世帯をカバーする自主防災連絡協議会を発足。地区を挙げての防災訓練を企画し、要支援者の個別避難計画作成に取り組むなど活動は活性化している。

会長の稲葉充さん(69)は「日頃から顔の見える関係が大事だ。地域で助け合っていきたい」と語る。



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