【31年目の奇跡 J1水戸誕生へ】 (2) 《連載:31年目の奇跡 J1水戸誕生へ》(2) 強化に歴代監督苦心 J2最古参、7位が最高
サッカーJ2水戸ホーリーホックは2000年の参入以来、昇降格を一度も経験せず、今年で26年目。昨季までの最高成績は03年と19年の7位で、J1昇格プレーオフ(PO)に進出したこともなかった。「J2の主」とやゆされる最古参だったが、就任2年目の森直樹監督(48)の指揮の下、初の優勝とJ1昇格を決めた。J2〝卒業〟に至るまで、歴代の監督らもチーム強化に苦心した。
J2参入元年に指揮を執ったセルビア人のバビチ・ブランコさんをはじめ、歴代の監督は個性派ぞろいだ。いずれも確かな手腕を持ち、ピッチ上で明確なスタイルを打ち出した。一方、クラブの経営状況は芳しくなく、強豪と競り合うには資金力が足りなかった。
03年に就任した前田秀樹さん(71)=東京国際大監督=は「Jクラブとは名ばかりの戦力。当初は夢も希望もなかった」と振り返る。戦力で勝る相手に対抗しようと取り入れたのは超守備的戦術。それだけに開幕3連勝は「春の珍事」と呼ばれた。J1広島から獲得したDF田中マルクス闘莉王(44)の活躍もあり、過去最高の7位でシーズンを終えた。失点は前年に比べ32点減り、戦術効果はてきめんだった。
しかし、任期5年で勝ち越したシーズンはなく、観客のため息は次第に大きくなっていった。「負ければサポーターにバスを囲まれた。『不満を応援の力に変えてくれよ』と、バスを降りて言い争ったこともあった」
代わって08年に就任した木山隆之さん(53)=J1岡山監督。当時、Jリーグ最年少の監督で、攻撃的戦術を浸透させた。就任2年目に8位となり初めて勝ち越しに成功した。
11年にバトンを受けた柱谷哲二さん(61)は「やりきる、走り切る」をテーマに選手たちの戦う意識を呼び起こし、攻撃的サッカーに磨きをかけた。しかし東日本大震災が発生。さらに台風被害で茨城県水戸市の練習場が冠水するなど、外的要因にも苦しめられた。
19年は、就任2年目でマネジメント力の高い長谷部茂利さん(54)=J1川崎監督=の下、過去最高に並ぶ7位と躍進した。6位以上で争うJ1昇格PO圏内まであと一歩と迫り、最もJ1に近づいたシーズンだった。
そして森監督。前田監督時代に選手として主力を担い、引退後は歴代監督の下で指導のイロハを学んできた。今季、「堅守速攻」を武器に念願成就へ導いた。前田さんは「よく頑張った。平均失点0点台での優勝は価値がある」とたたえる。選手が毎年のように入れ替わるのがクラブの特徴となる中、水戸で学び、育てられた森監督が新たな歴史を刻んだ。












