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【31年目の奇跡 J1水戸誕生へ】 (3) 《連載:31年目の奇跡 J1水戸誕生へ》(3) 震災復興、上昇へ機運 経営危機も市民支援

東日本大震災後、再開したリーグ初戦では、メインスタンドが使用できなかった=2011年4月23日、ケーズデンキスタジアム水戸
東日本大震災後、再開したリーグ初戦では、メインスタンドが使用できなかった=2011年4月23日、ケーズデンキスタジアム水戸


サッカーJ2水戸ホーリーホックが上昇するきっかけとなったのは、2011年3月の東日本大震災だった。同年1月に表面化した経営危機と重なり、当時社長だった沼田邦郎さん(61)は「もうつぶれると思った。どこかに頼んで身売りすることも考えた」と振り返る。

地震発生は3月11日午後2時46分。チームは同3時から茨城県水戸市河和田町のツインフィールドで全体練習を行う予定だった。準備運動中、経験したことのない激しい揺れに襲われた。

「サッカーなどやっている場合ではなかった。みんなの顔が青ざめた」とGK選手だった本間幸司さん(48)=現クラブCRO。余震が続く中、その日の夜は車中泊し、自宅の飲料水や食料を近所の人と分け合った。復興に向け、ボランティア活動にも精を出し、フロントスタッフと共に救援物資の運搬など力仕事を買って出た。

一方、長年の経営難に苦しむクラブは年始に経営危機を公表。記者会見でJリーグの「公式試合安定開催基金」から3000万円の借入金申請を明らかにしていた。

その渦中の被災。救いの手を差し伸べてくれたのは、共に復興を目指す市民だった。

08年に社長に就任した沼田さんは「本当のどん底は就任当初だった」と明かす。「当時は水戸市内でも全くの無名クラブ。どぶ板に徹し、ポスターを脇に抱えて水戸の駅南中央通りの店を一軒ずつ回った」。知名度を足で稼いだ。

そのかいもあって、増資や新規スポンサー獲得などにより、借入金を返せた。企業や市民から「サポート募金」を受けるほど信頼を得ていた。

震災の影響で中断していたリーグ戦は4月23日に再開。初戦のホーム徳島戦では、終了間際に逆転してみせた。復興を目指す全員の思いが乗り移ったかのような劇的勝利だった。

元日本代表で同県日立市出身の鈴木隆行さん(49)が加入したのは、その約1か月半後だった。

「経営が厳しいという記事を見ていた。サッカーで協力できないかと思った」。鈴木さんは米国のクラブを退団して約半年、フロント視点で地元クラブの存続を心配していた。すると、当時監督だった柱谷哲二さんから「選手としてやってくれよ」と話があり、無報酬のアマチュア契約という異例の加入が実現した。

鈴木さんは在籍4年で126試合に出場。13年に12得点を記録するなど水戸のために力を尽くした。「水戸を励まそうと思って来たら、逆に自分がサポーターから力をもらっていた。すごく感謝の気持ちが強い」。地元出身のストライカーが復興の旗印となり、クラブは震災をきっかけに上昇の機運が高まっていった。



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