《連載:防災いばらき 未来へつなぐ 3.11震災15年》第1部(1) 福島からつくばに避難 守家文子さん
東日本大震災と福島第1原発事故から間もなく15年。あれから、人々の暮らしはどう変わったか。今の姿を追った。
■荒れた自宅 思い出の品々 帰れる。そう思わないと心が折れる
2、3日分の着替えをかばんに詰め込んだ。その後、15年も戻れないなんて。
2011年3月11日。東京電力福島第1原発が立地する福島県双葉町。翌月に県議選を控え、守家文子さん(67)は候補者の陣営を手伝うため、1人でプレハブ事務所にいた。
午後2時46分。その場に立っていられない揺れに襲われ、外に飛び出した。隣の漬物屋の窓ガラスは割れ、地面にひびが入った。
翌日の昼前。防災無線で「(内陸の)川俣町に避難してください」という指示が聞こえてきた。情報は一切なく、双葉町職員の夫に尋ねても詳細は分からなかった。生まれ育った同町鴻草地区を後にした。避難した小学校のテレビ画面。原発の建屋が吹き飛び、空高く舞う映像が流れた。初めて事態を把握した。
「原発は一番安全だと思っていたのに」
実家は旧家で農業を営んでいた。夫は婿だ。虫は苦手だが、家業を手伝った。コメや野菜、みそを作った。当時は両親と夫、子ども3人の7人暮らし。大所帯で、夕方になれば、畑で取れた野菜を料理した。ダイコン尽くしの日もあり、「何なの、このおかず」と家族で笑い合った。
町役場が避難した埼玉県に一時身を寄せ、茨城県つくば市に移った。
実家も含め、現在も町は多くが帰還困難区域だ。築30年近くなる2階建ての自宅は今も残る。年に数回、車で片道約3時間かけて一時帰宅する。家の様子を見ながら、震災前年に28歳で亡くした息子・大樹さんたちの墓参をする。
「帰るたびにがっかりする。家はあの時のままで時間は止まっている」
昨年12月8日。わが家の惨状に胸が痛くなった。全ての部屋で家財道具が散乱し、足の踏み場もなかった。掃き出し窓には黒い養生テープが貼られていた。何者かが割って侵入したとみられる。物もなくなり、リビングの大型テレビ台は空っぽだった。寝室には紙たばこの吸い殻が2本。家族に喫煙者はいない。子ども部屋も酎ハイの空き缶が2本転がっていた。動物のふんも落ちていた。
「懐かしい」
思い出の品を手に取ると気持ちが和らいだ。地区カラオケ大会の写真、子どもの作文コンクール入賞の盾、学校の通知表、ランドセル…。古里での日々に浸れる時間でもある。
近くの墓で手を合わせた。防火のため線香に火は付けられない。墓沿いの常磐線の向こう一帯は高い草木に覆われていた。元は所有する田畑だった。
2年前、縁あって歌手「あやこ」としてCDデビュー。曲「大空よ」は古里の空に思いを寄せる歌だ。大好きな歌であらゆる災害の被災者に寄り添いたい。3月には双葉の東日本大震災・原子力災害伝承館でコンサートを予定する。
生きているうちに戻れるだろうか。言い聞かせる。
「必ず帰れる。絶対に帰れると思わないと心が折れるから」
この地に戻ってまた農業をやりたい。
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