【防災いばらき 未来へつなぐ 3.11震災15年】 (2) 《連載:防災いばらき 未来へつなぐ 3.11震災15年》第1部(2) 茨城・大洗町の消防士長 増田裕太さん
■「避難命令」語尾は強めに まだやるべきことはいっぱいある
手元に残る十数枚のA4判の紙。「緊急避難命令」「高台に避難せよ」。書き付けられた文字は乱れ、焦燥感がにじむ。
最大4メートルの津波が襲った茨城県大洗町。町消防署の消防士長、増田裕太さん(34)は当時、防災行政無線で住民に避難を呼びかけた。あの時の放送文は今でも大切に保管している。
町は甚大な被害を受けたが、津波による死者はゼロだった。迅速な避難を促したとして、注目を集めたのが防災無線だった。
消防本部庁舎から発信された増田さんの声は、町内にある屋外スピーカーと、各家庭の戸別受信機から住民に届けられた。
採用1年目の駆け出しだった。「必死でした」。手にした紙の束に目を落とす。
2011年3月11日午後2時46分。激しい揺れが起きた時、消防庁舎で放水訓練の準備中だった。
1階の通信指令室に駆け込み、防災無線のマイクをオンに。マニュアル通りに放送文を読み上げた。
「高台の安全な場所に避難してください」
津波警報が発令され、避難勧告が避難指示に切り替わった。室内にあった内線電話が鳴った。町役場にいた小谷隆亮町長(当時)からだった。
「それじゃ町民は逃げない。緊迫感のある放送を」。受話器を取った消防長に指示が飛んだ。増田さんは伝えられた放送文を紙に書き取った。
はきはきとゆっくり、そして語尾は強めに-。そう意識して放送した。
「緊急避難命令、緊急避難命令」。サイレンが鳴り、命令調の呼びかけが町内に響き渡った。「避難命令」という言葉を、町の防災無線で使うのは初めてだった。
間もなく大津波警報が発令された。「ザー」という不気味な音が聞こえた。窓の外に目をやると、津波が迫っていた。まもなく足元が水浸しになった。
それでもひるまなかった。「放送することに一生懸命だった」。防災無線は夜まで続いた。
「あの日」から間もなく15年を迎える。
震災を教訓に、マニュアルの見直しが重ねられた。消防庁舎の高台移転も決まった。
一方、消防職員の世代交代は進む。震災後に採用された職員は6割を占めるようになった。震災の記憶や知見を継承する重要性は高まる。
「マニュアル通りじゃないことも起きるだろう。想像している以上のことが起きるかもしれない」
昨年7月、津波警報が出た。町消防本部は、震災後に策定された「一時防災拠点避難マニュアル」を初めて実践した。
消防庁舎にある資機材や医療用具などを高台へ移す流れを確認した。ただ、途中の道路で渋滞などが発生する恐れがあることが判明、改善を図った。
「まだやるべきことはいっぱいある」
備えに終わりはない。
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