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《連載:防災いばらき 未来へつなぐ 3.11震災15年》第1部(3) 北茨城市の漁師 山形隆さん

次の漁に向けて修繕した網を船に積み込む山形隆さん、美紀さん夫妻=北茨城市大津町
次の漁に向けて修繕した網を船に積み込む山形隆さん、美紀さん夫妻=北茨城市大津町
東日本大震災の地震と津波で被害を受けた大津漁港=2011年3月16日、北茨城市大津町
東日本大震災の地震と津波で被害を受けた大津漁港=2011年3月16日、北茨城市大津町


■価格回復も漁場制限続く 福島沖、本当は取りに行きたい

「一刻でも船を早く引き揚げ、海に戻りたかった」。思いもむなしく、長年連れ添った船は津波で陸に打ち上げられた後、船体の大半が海に沈んだ。2011年3月11日、茨城県北茨城市を襲った津波は最大6.7メートルを観測した。

同市大津町の漁師、山形隆さん(64)は当時、妻の美紀さん(62)と同県日立市内で車を走らせていた。車中でも分かるあまりに強い揺れに船と家を諦めた。

気がかりだったのは愛船で一緒に漁をしていた父の安否だ。「万が一、船を(1人で沖に)出しに行っていたら」。沖に避難しようとして津波にのまれていないか、不安が頭をよぎった。夕方、避難所の北茨城市立大津小にたどり着くと、両親と無事再会できた。

避難所で一夜を過ごし、翌日に町に下りた。漁港から流されてきた漁具や漁網、車が散乱していた。自宅は床上約60センチまで水に漬かった跡があった。

港で見た光景に言葉を失った。全長15メートル、重さ4.9トンの愛船「春海丸」が岸壁に打ち上げられていた。その後の余震や高波で船は海に落ち、船首を残して水に漬かった。魚群探知機やソナーといった電気系統や船体自体の破損で被害額は2000万円を超えた。

それでも「命があれば、再建できる」。1000万円を超える借金をして船を修理。「漁に出たい。(大漁の)良い時が忘れられない」。海への思いがいっそう強まっていた。

夏になって修理を終え、船出の準備が整った。

だが、再び試練が立ちはだかる。原発事故の影響で、北茨城沖のコウナゴから暫定基準値超えの放射性物質が検出された。その後は不検出だったものの「魚が売れない」。シラス漁も自粛を余儀なくされた。

「取りたいけど取れない。もどかしさがあり、さすがに心が折れた」。経験を重ね漁師として一番の働き盛りのはずだった。

休業が長くなった。ようやく試験操業が始まったのは翌12年8月。週1回のペースで水揚げし、13年5月に本格的に漁を再開した。漁に出られる喜びを感じつつも不安は拭えない。

不安定な環境は家業の継承に水を差した。事故がなければ息子を船に乗せていたかもしれない。「内心は継がせたかった。原発事故が人生をかなり変えた」

「私も行こうか」。体調が悪い父に代わり、20年から美紀さんが上船した。船に乗るのが嫌いだった妻を動かしたのは、必死に家業を守る姿だった。「親子船」は「夫婦船」に変わった。

言葉はそれほど交わさないが、妻との息はぴったりだ。黙々と漁網を船に積み込み、次の漁に備える。

あの日から間もなく15年。シラスの価格は回復したが、漁はまだ本来の姿に戻っていない。主要な漁場である福島県沖には依然として入れず、大津沖から高萩沖で魚を追う。

「本当は行きたい」

制限なく漁に出られる日を強く願う。



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