《連載:あの時私は 戦後80年20紙企画》(14) 1945年7月14日 岩手・釜石 佐々木テルさん(96)



■艦砲射撃 火の海に涙 幾多の災禍生き抜く
戦争と津波、幾多の災禍を生き抜いたからこそ、命の尊さを深く知っている。佐々木テルさん(96)=岩手県大槌町末広町=は昭和三陸大津波で家を流され、太平洋戦争では釜石艦砲射撃を体験。ようやく訪れた平穏な日々は東日本大震災の津波で再び打ち砕かれた。火の海と化したまちと故郷を襲った黒い波。どの光景も脳裏に焼き付いて離れない。
「全てを押し流していった」。思い出すのは1933(昭和8)年の昭和三陸大津波だ。当時4歳だったテルさんは母に抱かれ家の裏山から黒い濁流を見ていた。家族は無事だったが自宅を流された。
やがて生活は戦争一色に。実科女学校では、敵国の指導者に見立てたわら人形をなぎなたで突く訓練を受けた。「神風が吹いて日本は必ず勝つ」と信じて疑わない「軍国少女」として育った。
45(同20)年4月に日本製鉄釜石製鉄所に事務職員として入社。7月14日は朝から警報が鳴っていたが、「戻れば非国民と言われる」との強迫観念から、汽車で製鉄所に出勤した。
昼下がり、突如ごう音がとどろき、防空壕(ごう)へ逃げ込んだ。暗闇の中、体の奥まで響く砲撃音と衝撃。「何が起きてるの」。海上からの攻撃だと分かったのは数日後だった。
音がやみ、壕から出ると見慣れたまちは火の海に。「早く大槌に帰らなきゃ」。甲子(かっし)川に架かる大渡橋は使えず、川の中を渡った。製鉄所から流出したコールタールが長靴の中に入り、重く足を引っ張った。
道路には遺体やがれきが散乱していた。敵国の艦載機は、パイロットの顔が見えるほどの高度を飛んでいた。目の前の光景は現実なのか。涙が止まらなかった。
戦後は地元の企業で働き、定年後は水道の集金業務などで生計を立てた。つつましくも穏やかな日々を送っていたが、2011年3月11日、東日本大震災が発生。避難先の高台から見たのは、再びまちをのみ込む黒い渦だった。自宅やお気に入りの品々、知人もたくさん失った。それでもわずかな希望を絶やさなかった。「11日の夜は満天の星だった。亡くなった人が星になって見守っているのかなって」と振り返る。
戦後80年、生き抜いた原動力は好奇心だ。「自分で考え行動すること。誰かに頼りきるのではなく、自立して生きてきた」と語る。「同じ過ちを繰り返してはいけない」。生涯を通じて災禍に翻弄(ほんろう)され続けた96歳の言葉には、平和への切なる祈りが込められている。(岩手日報・前川佑宇)
★釜石艦砲射撃
1945年7月14日と8月9日、連合国艦船が製鉄所など軍需産業の拠点だった岩手県釜石市を集中砲撃した。国内で艦砲射撃を2度受けたのは同市のみ。1回目は約2560発が撃ち込まれ、製鉄所を中心に被災。8月の2回目は中妻町や小川町の社宅街などに約2780発を受けた。市によると現在、犠牲者名簿には約780人を登載。民間調査では1000人超ともされる。
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