【あの時私は 戦後80年20紙企画】 (15) 《連載:あの時私は 戦後80年20紙企画》(15) 1945年7月17、18日 茨城・日立 沼田清治さん(90)



■街に降り注いだ砲弾 暗闇の中、恐怖に震え
深い霧の向こう側で、戦艦の砲口が一斉に火を噴いた。1945年7月17日深夜。茨城県日立市は、太平洋岸に立ち並ぶ軍需工場を狙った米軍の艦砲射撃に襲われた。
わずか二十数分の間に、市内に撃ち込まれた40センチ砲弾は約870発。標的は戦艦から2~3キロ先の各工場だったが、外れた弾は周辺に住む一般市民の上にも容赦なく降り注いだ。
沼田清治さん(90)=同県東海村=は、100人以上が亡くなり最も被害が大きかった旧多賀町(同市)の自宅にいた。
「起きろ、逃げるぞ」。当時10歳。鬼気迫る様子の父親にたたき起こされ、戦闘帽やゲートルは枕元に置いたまま、庭先の防空壕(ごう)に飛び込んだ。家族と親戚の8人で身を寄せ合って息を潜めた。「ズドーン」と大地を揺らすほどの衝撃が続く。「すさまじい音が何度も体を突き抜けた」。暗闇の中で恐怖に震え、思わず失禁した。
工業都市として発展を続けていた日立市。戦時体制の下、日立製作所などは軍需生産の色彩を濃くしていた。
沼田さんの自宅から東に1キロ余りに位置する多賀工場は当時、発電機や航空エンジン用点火プラグなどの製造拠点だった。同工場を標的として最多の約530発が撃ち込まれた。
防空壕で一晩過ごした。朝外へ出ると、家の前には背丈ほどの深さの弾痕があり、柱だけを残した自宅が無残な姿をさらしていた。雨戸やガラス戸は吹き飛ばされ、布団や衣類など家の中も「空っぽだった」。
「これが戦争なんだな」。家族は全員無事だったが、一瞬にして全てを奪われる戦禍の現実を突き付けられ、言葉が出なかった。
米艦隊の作戦を狂わせたのは悪天候だった。日立鉱山神峰山観測所の記録によると、当日は朝から雲が低く垂れ込め、霧で「視程ゼロ」だった。雨も1日降り続き、攻撃は予定されていた弾着観測や照明用航空機の助けを得ずに行われた。結果、砲弾の多くは住宅地や山林に降り注いだ。
被災後、沼田さん家族は近所の物置で仮住まいを続け、国民学校には母親が麻袋で作ったズボンで通った。当時覚えた軍歌は今でも無意識のうちに口ずさんでしまう。
「惨禍を知るきっかけになれば」と、父が保管していた砲弾の破片を市郷土博物館に寄贈した。「自分の考えも自由に発表できない時代だった。戦争は大勢の運命を翻弄(ほんろう)する」。戦後80年の夏、ずっしりと重い金属塊を手に、平和を思う。
★日立艦砲射撃
ウィスコンシン、ミズーリ、アイオワ、ノースカロライナ、アラバマの5戦艦を含む米国海軍第三艦隊の部隊が、1945年7月17日午後11時14分から翌18日午前0時11分まで、現在の日立地区(日立市)と勝田地区(同県ひたちなか市)に対し、2回にわたって行った艦砲射撃。絶え間ない激しい雨が降る中、日立地区には戦艦の40センチ砲弾計870発が撃ち込まれた。
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